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思いつくままに書きたいことを書き連ねる為のブログ。

南京大虐殺とは何か?

しばしばブログを放ったらかしにする癖は何とかしたいものではあるが、言い訳すると、たまに書き始めはするのだけど途中でまとまらなくなり、そのまま寝てしまうからである(笑)。

 

さてしかし、僕はブログの仕組みとかネットのこととかほんとに知らない人で何がどうなってるのかどう調べればよいのかも殆どわかってないものぐさ人間なのだけども、はてなブログ(無料)では一応簡単なアクセス解析が出来る。それで、ちらと見てみると全く更新していないにもかかわらずどうもある記事が時折読まれているらしい。

 

 

南京事件否定論は腐っても使い回される法則 - Non title

 

閑古鳥鳴く、誰も訪れない廃墟のような僕のブログで唯一、ブクマが多くついている記事で、最近ではたかじんの件などで騒がれている百田氏のツイートに関する記事である。それなりにタイムリーだったからだと思うが、恥ずかしながらこの頃既にベストセラー作家でそれなりに知名度のあった氏のことを当時はほとんど知らなかった。

 

さて、この記事についたブクマコメントを読むとさすがにはてな民は知的というか、なかなかそれなりに知識のある方が多くて、僕は南京大虐殺を解説しなくても多分僕なんかよりずっと詳しい方も多いのであろうけども、ネットをウロウロしているとわけも分からず南京大虐殺のことを語っている人がかなり多いことに気付く。そこで、ブログを久々に書くネタとして、物凄く初心者入門的に南京大虐殺のことでも書こうかなと思いついた。書いたからってほどんど読まれないどころか、辿り着いてくれそうにもないけども…。

 

南京大虐殺とは何か。

詳しいことはWikipediaを見て下さい。終わり。…いやいや、そうだよ、確かにWikipediaを先ずは見るべきなんだし、結構詳しく書いてます。さすがにあそこに描く人たちのレベルには僕は全然至ってない。…ただ至ってはいないのだけども、分かることはあります。というのは、Wikipediaの記述だけでは実のところ全然足りないのです。いやね、表層的な知識として持つという意味ではあれで十分すぎるとは思うけども、Wikipediaの説明だけでは全然十分ではない、ということだけは言えるというかね、当然なのだけども。

 

もしこれを読まれて、それなりに南京大虐殺について語りたい、あるいは議論なんかしてみたいとか思うのであれば、最低でも秦郁彦先生の『南京事件ー「虐殺」の構造』(中公新書)を一読して頂きたい。これは肯定派否定派ネトウヨはてサ問わず、基本的に必要な情報が非常にコンパクトに纏まってて、細かい内容の正否・賛否等はさておき、良書だと思います。僕が持っているのはずいぶん古くて、最新のはどうも内容が加筆修正されているらしいけども、多分大筋ではそんなに変わらないでしょう。

 

 

南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書)

南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書)

 

 

なんでこんなことを書くかというと、百田氏のようなアホみたいな事を言って恥かかないように、という僕なりの気遣いです(笑)。実際Wikipedia南京事件論争の項を読めば分かるとおり、本多勝一朝日新聞連載記事『中国の旅』が論争史の始まりとすれば、実に現在まで約45年も続いてるんです(続いてるというか、歴史が古いってことですけどね)。そんだけ続いてりゃ多くの論点について細かく色々と議論されているわけであり、その気になってちょいと調べりゃ、とっくの昔に本に書かれていることもかなりある。なので、ネット情報とか或いは週刊誌やら新聞やらの記事、テレビの識者の発言とかを鵜呑みにしない方がいいです。百田氏は鵜呑みにしたから恥かいたわけです。まー百田氏はWikipediaすら見たこともないようですけどね。

 

南京大虐殺はさんざん議論しつくされてきたおかげで一次資料に比較的当たりやすい分野だと思います。一次資料といっても、例えば日記原本そのものを見られるというわけではありませんが、そうした日記などの記載内容を南京事件に絞って取りまとめた資料集が図書館などで簡単に閲覧できます。別に図書館に行けとか自分で詳細に調べつくすべきだ、とまでは言わないけども、せめて前述した秦氏の著書くらいは目を通しておいてから南京事件については語ったほうがよろしいかと。

 

…あ、また途中でまとまらなくなってる感じの記事になってきたな。初心者入門的に南京大虐殺のことを書こうとしてたんだっけ(笑)

 

では初心者的入門開始。あくまで初歩的な説明だけですよ、繰り返しますが秦氏の著書くらいは読まれることをおすすめします。

 

南京事件が起こった当時、1937年ですが、日本は中国と戦争中だったんです。戦争と言ってもお互い宣戦布告せずにやってたんで、形式上は正式な戦争ではなかったんですけど、ともかくも戦争してたんですよ。戦争の理由や原因はややこしいので説明は省きますが、日本が中国領土で中国と戦争していた、という地理的状況は重要です。日中戦争といっても別に中国は日本領土には攻め込んでないんですよね。状況としては一方的に日本が中国領土に攻め込んでいるわけです。

 

で、ですね、ある時、日本側は当時中国の首都であった南京を落とそうと大軍を用してその南京を攻め落とそうとします。南京ってそこそこ中国の内陸部にあるんですよ。日本は中国大陸東岸からしか軍隊を上陸させられませんから、既に中国で編成されてた上海派遣軍を含め東側から西へどわーっと大軍で南京を攻略し始めます。東から西といっても一直線ではなくて、南京から見て北東側から南東側までに分かれて一斉に攻めこむような感じかな。四方八方とまでじゃないけど、とにかく周りから南京に集まっていく形で攻めこんでいったわけです。

 

とにかく当時の日本軍は勢いがあったので、攻め入ってから一ヶ月待たずに、とうとう南京までやってきたわけです。日本軍は師団なんて単位があったりするんですけど、師団同士で「俺らが一着になるんじゃー!」みたいに争ってたりしてましてね、とにかく首都南京を落としたら、日中戦争勝ったも同然!みたいな雰囲気だったし、かなりの死傷者も出たきつい戦場だったこともあり、とにかく早く終わらせたい。

 

ところでですね、ここで少々変なこと言いますけど、当時の装備で交戦状態でですよ、南京ていう首都落とそうとして戦って、一ヶ月も待たずに南京を攻め落とすような状態で、敵兵の大半を殺せるでしょうか? 日本軍兵士たちが正確無比なスーパースナイパーでもない限りそんなことは不可能です。敵軍は色々と諸説ありますが10万人くらいいたと言われてます。つまり、殺されず白旗上げたであろう大量の捕虜が出たのです。

 

実は、日本軍はこの捕虜をどうするか、大して考えずに南京攻略戦をしたのです。しかも、日本軍上層部はこの日中戦争を公式には戦争と認めたくないがために、捕虜が出ても捕虜と呼ぶな!と全軍に通達まで出していた。でも実態は戦争なんやから捕虜出るやん?どないせいっちゅうねん? 捕虜と呼ぶなどころちゃうやん? 数千数万も捕虜が出てるんやぞ?

 

実際、当時の現地軍隊は大量の捕虜に困り果ててます。例えば、

 

捕虜の仕末に困り、恰も発見せし上元門外の学校に収容せし所、一四、七七七名を得たり、斯く多くては殺すも生かすも困つたものなり、上元門外の三軒屋に泊す

 

 

だなんて、山田支隊隊長の日記に書かれていたりします。ちなみに、この山田支隊が捕らえた捕虜については、幕府山事件と呼ばれて南京事件議論の中の一つの議論として有名で、全部殺したと言われています(殺したことそれ自体には特に肯定派も否定派も異論はあまりありません)。ともかくも、他の部隊にも大量に捕虜は捕獲されており、これをどう処理するか、非常に困ったことになったわけです。

 

さて、捕虜をどうすればよいかは、戦時国際法というものがありまして、一旦捕虜にしたら、原則として殺戮処分してはいけません。ここまでは肯定派も否定派も異論はありません。問題はその解釈になりますが…それはここでは述べません。

 

ところで、捕虜にした*1中国兵の他にも、困った中国兵がいました。というのは、南京陥落を目前にして中国国民政府主席の蒋介石重慶に遷都すると決定します。要するに逃げるってことです。そして、軍の一部を南京防衛に残し、多くの南京市民共々、一斉に南京から揚子江をわたって避難していきます。で、南京陥落直前になると防衛軍司令官自身も南京から逃げます。防衛軍の大半を残したまんまです。しかも、揚子江を渡るには通らざるをえない門を残された兵士たちは通ってはならぬと言明し、通ろうとした兵士たちを尽く撃ち殺します。こういう戦術は古くから洋の東西を問わずにあり自軍の逃亡を許さずにこのように撃ち殺す部隊を「督戦隊」と呼びます。まぁでも、状況から考えるに、督戦隊置いたところで残った兵力で南京を死守できるはずもないわけで、これが督戦隊戦法といえるかどうかは大いに疑問ですが。

 

というわけで、周りは日本軍に取り囲まれて逃げ場もなく、勝ち目もない状況で、司令官すらいない状態に置かれ残された中国兵達は、日本軍に捉えられて捕虜になるか、南京から逃げられなかった市民たちに紛れて隠れる以外に無くなってしまったのです。この後者が、南京事件議論ではいわゆる「便衣兵」問題として延々に議論され続けてきた問題です。日本軍は市民に紛れて中国兵が潜んでいることはすぐに分かってました。街の路上などに大量に軍服が脱ぎ捨てられたりしてましたからね。だから日本軍は南京に着くなり早速、中国兵摘発に乗り出します。こうした場合に潜伏残存兵摘発をするのは普通のことです。問題はその摘発残存兵の処理です。そもそも市民の格好をしている軍人をどうやって見分けるのか? 一説によると、その誤認率、つまり殺されたんですけど(これも殺された事自体には否定派も異論はない)、市民の混入率は三割だとも言われています。

 

概ね、ほんとに大雑把な初歩的入門的な認識として、以上のことが南京事件の概要です。他にも強姦や略奪、放火などがあるのですけどそれらは何故かほとんど議論になりません。せいぜい強姦の件数の問題くらいですかね…さすがに当時南京にいた外国人の記録などにある2万件とかちょっと信じ難いものがありますけど、そうしたラーベやボートリンなどの日記に頻繁に強姦被害の話は出てくるし、日本軍は強姦犯罪削減の目的で慰安所作ったりしてるし、強姦があった事自体は認めざるを得ないからかと思いますが。

 

ということで、南京大虐殺についての初歩的入門的説明を終わります。くれぐれも、ネットで南京事件のこと触れるならば秦先生の著書くらいは読んだほうがいいと思いますよ(笑)

*1:否定派陣営の一部はこの「捕虜」という表現を問題にするのですがここではそれら論争については触れません

悪役の魅力

実に久しぶりにブログを更新するわけだが。

 

日本には俳優の八名信夫がリーダとなっている「悪役商会」と言うグループがある。時代劇や任侠劇、刑事ドラマ等で悪役側の人たちはそれまであまり目立たなかったが、悪役商会の誕生をきっかけにして、それらの作品における悪役を演ずる俳優たちに脚光が浴びるようになった。

 

だけど、僕はまだ二十歳にも満たなかったけど、この悪役商会にはかなり不満だった。悪役のくせに、子供は殺さないとか変なモラル持ってたりとか、殺され方だとか些末なことに拘っていたりしたことなど(出演したバラエティー番組向けに言ってただけかもしれないが)、それ以上に不満だったのは、悪役が主役の引き立て役に過ぎないとでも思われているような世間の雰囲気みたいなものを感じたからだ。

 

その原因は色々な角度から語れるのだろうけども、一因は黒沢明監督の映画にあるような気がしている。世界中から神聖化されるほどの超一級監督で、確かに映画のほとんどは素晴らしいし、異論はない。しかし、黒沢は役者の役作りを認めなかった。黒沢にとって役者は、自分の取る映画の道具の一つに過ぎず、自分の思うとおりにさえ動けばそれでよかったのである。だから出演者たちは黒沢がいいと思うまで何度も演技のやり直しをさせられたし、勝新太郎のように自分のあずかり知らぬところで勝手に役作りなどされては困るから首を斬られたのである。だから黒沢映画に出演した俳優に優秀な役者はいても名優はいない(と勝手に俺は断言するわけだが、乱に出たピーター・池畑慎之介だけは違う、乱はまるでピーターの為に作られたような映画にさえ見えたから)。極端な話、俳優全てが黒沢映画の引き立て役に過ぎなかったとさえいえる。

 

さてそんな映画論をぶってもしかたない。海外に目を転ずると、主にハリウッド映画になるわけだが、悪役が決して主役の引き立て役としてではなく、場合によっては主役陣を食ってしまい、なんというかもう魅せられてしまうほどの悪役が結構しばしば登場する。僕が魅せられた悪役を3人ほど述べよう。

 

  • レオンのゲイリーオールドマン

もう出てきたその時の演技だけでいかれてた。下記動画の1:55あたりから見られる有名なシーンだ。エクスタシー(MDMA)という麻薬のカプセルを上を向いてかりっとやりぶるっと肩を震わせるそのしぐさのいかれっぷり。これだけで、この映画はジャンレノでもナタリーポートマン(※めっさ可愛くて演技も素晴らしいけどね)でもなくゲイリーオールドマンのものになってしまった。凶悪ぶりも凄まじくて、ベートーベンを口ずさみながら皆殺しするという恐ろしさ。

しかしご本人は悪役があまり好きではないそうで、自分に悪役を依頼する人は頭がおかしいと思っていたそうです。でも、こんな演技出来るのはゲイリーオールドマンしかいないと思うんだけどなぁ。この人に後で述べるジョーカーをやらせたら、ヒースレジャーとはまた違った凄味のあるジョーカーになったと思うんだけど。

 

 

今調べるのにウィキペディアみたらもう70歳なのね。つかほんとはルトガーハウアーの悪役としてはヒッチャーっていう映画の役の方が素晴らしいんだけど、記憶が定かではなくて。ともあれ、ブレードランナーでの演技も素晴らしかった。自分の生みの親であるタイレル社社長の頭を両手で掴んで両親指でゆっくりじわーっと目玉を潰していって殺すシーンなんかはあまりにも残忍過ぎて公開時にはカットされたくらいである。不気味さそのものはリドリースコット監督の演出によるところが大きいのではあるけども、ルトガーハウアーの演技力によるところも結構あると思う。それが存分に生かされているのがヒッチャーなんだけどね。残念ながら目つぶしシーンは発見できなかったが、以下のシーンも素晴らしい演技だ。

 

ダークナイトのヒースレジャー

実は最近これを見たので、ブログ更新しようと思っただけなんだけどね。ネットでも語り尽くされてきたけども、ジョーカーの演技はもうほんと神がかってると言う他ないほど素晴らしい。公開を待たずにヒースレジャーは28歳の若さでこの世を去ってしまうのだけど、ほんと惜しい俳優だ。この映画自体ももちろん比類ないほど素晴らしい映画なんだけど、ヒースレジャー演じるジョーカーなくしてこの映画は成立しない。映画に入る前に一カ月間ほどホテルに閉じ籠って役作りしたらしいけど、むしろたった一ヶ月でここまでの役作りできるか?と思えるほどだ。完璧に他の俳優の演技を食いまくってる。とにかくジョーカーの悪っぷりには痺れまくる。もちろん、これを作ったクリストファーノーラン監督の力量もあってのものではあるけども、とにかくこれ以上ないほどにぴったりハマってる。ひひっははっひゃははーっと笑うあの笑い方は一生忘れられないし、それにあの病院爆破時に病院から出てくる時の歩き方やリモコンがうまく作動しないで振って爆破させる滑稽さも一度見たらほんとに強烈に印象に残るものだったなぁ。

 

というわけで、3人ほど紹介してみた。実は日本人も紹介したかったのだけど、僕はそんなに映画とか見てないからだとは思うものの、まったく思いつかなかった。でも多分、上にあげたほどの演技に匹敵するのはいないと思う。映画ではないがあるドラマで竹内力が魅せた演技は悪役としては別格に凄いとその当時思ったのだけど、ドラマのタイトルも覚えてないし、その一話にしか出てないし、あまりにもマイナーすぎて紹介不能。でも竹内力はナニワの帝王のイメージが強いけど、役者として凄い人だと思うよ。

 

例外的には、あの松田優作が挙げられる。遺作となったブラックレインなんだけど、ロバート・デ・ニーロが共演したいと思ったのも頷ける鬼気迫る演技だった。でもちょっと頑張りすぎてる感じがしてね、ハリウッド・海外に進出する気満々だったんだろうなぁ。そういう野心みたいなものがちょっと余計かなと思った。なんていうのかなぁ、もっと凄い映画に出て欲しかったというか、実にもったいない気がするのです。日本に松田優作がかつていたのは奇跡だと思うよ。マジで。

 

 

 

 

不採用の理由を言えって?何で?

またイケハヤがなんか妙なこと言ってる。


言いたいことあればブログとかで言え、と書いてあったのでちょうどマクドで暇な時間つぶしがてらに拙者のiPhoneで書いてみる。iPhoneなのでめんどくさいからいちいち引用しないので正確さを欠いたらごめんなさい。

好きな女の子がいて、その子に告白したらふられた、なんてなケース。ほとんど大抵の場合、彼女様たちはふった理由なんで言わない。まあ普通はふられた方は涙しつつも、特に理由を聞こうなんて思わないだろう。ああ縁がなかったんだな、ちくしょー!くらいなもんだ。

しかしここで、理由がわからないことに納得せず、しつこくその理由を聞く奴がいたとしよう。考えるまでもなく、そんなのはストーカーと呼ばれて久しい。たとえ復縁を迫るつもりがなかろうと、それで付きまとったらストーカーである。

ここで、いや会社には個人と違って社会的責任を果たす義務もあるんじゃないのか?みたいなイケハヤみたいな事を正論として反論してくる人がもしかしたらいるかもしれないので言っておこう。

そんな義務は欠片も存在しない。

はっきり言ってしまえば、不採用理由を言って欲しいだなんて甘えたことを言うような人材などそもそも最初から不必要ですらある。例えば面接で面接担当者が「不採用になったとしたらその理由を知りたいですか?」と質問したとしよう。そこで「はい」と答えた奴は全員不採用にしたっていいくらいだ。

企業が興味あるのは採用したい人間だけである。もし仮に、不採用理由を答えるとしても「いや、他に採用者がいたのでお断りするしかありませんでした」程度のことしか言わないのが一般的だろう。不採用者にいちいち構ってる暇はないのである。

そんなこともわからない人材など最初から不要である。

…というような理屈は常識だと思うけどイケハヤさんはそれをわかった上で言ってるのかな?、つまり炎上目的の釣りなのかなぁ?てことだけど。なんか、ブクマ数上がらないように罠仕掛けられたって聞いたことあるしね。

ブレイキング・バッドが最高に面白い!

ステマと思われたっていい。

 

 

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僕がアメリカのTVドラマで先ず思い出すのはデヴィッド・リンチ監督のツインピークスだ。ブームの真っ最中にはまった。ツインピークスの面白かったのは何よりデビッド・リンチの独特な摩訶不思議な世界感みたいなものだったけども、それと同時にアメリカの片田舎で繰り広げられるストーリーというところにもあった。それともう一点、出てくるキャラがどいつもこいつも一癖も二癖もあるほど個性的だったことだ。

 

ブレイキングバッドもそれに近い。場所はテキサス州アルバカーキというド田舎だ。ただしツインピークスのそれと違って、何の風情もない人の住んでる町と砂漠しかないようなところである。出てくる登場人物は大して個性的ではないが、なんというか素晴らしく普通の人達ばかりである。この普通の人達のリアルさが抜きん出てると言っても過言ではない。

 

この極々普通のアメリカ市民達が、覚醒剤という悪の象徴みたいなものを巡ってストーリーは展開する。主人公は、高校の化学教師、ウォルター・ホワイト。別名をハイゼンベルグという。ハイゼンベルグとは、物理学の量子論で有名な不確定性原理を発見した人の名である。量子のごとく絶対に誰とは分からぬ存在でいたいとの思いから自身に命名したのである。

 

とにかくこのおっさん、バカとしか言いようがない。ある日、肺がんで生き延びても二年ほどしか命がないということが発覚する。そしてその数週間前の自分の誕生日のパーティで見た、弟が登場するテレビのことを思い出した。弟はDEAという麻薬専門取締組織の取締官を勤めていて、その操作現場の様子がテレビに映し出されていたのである。押収された現ナマは70万ドル。

 

高校教師の給料では足りず、洗車場のバイトを副業としてなんとか食いつなぐような状況。息子には大学も行かせてやりたいし、二人目も妊娠中。しかし自分はあと二年しか生きられない…、そこで自分の化学知識を活かしてクリスタル・メスと呼ばれる覚醒剤の製造業者になろうとするのである。自分が二年で死んでも愛する家族たちには十分な財産を残すために。ほんと馬鹿である、止めときゃいいのに。そのおかげで家族や弟夫婦も巻き込んでどんどん悲惨な状況になっていく。

 

とまぁ、冒頭の流れはそんなところであるけども、これがとにかくクソ面白い。かのスティーブン・キングが絶賛するのも十分頷ける。僕は最近のアメリカドラマといえばキーファー・サザーランド主演の24が一番かなぁと思っていたのだけど、今はもはやダントツでブレイキング・バッドだ。脚本と演出が最高の出来だ。特に脚本は完璧すぎる。あと音楽のセンスが抜群にいい!

 

僕は有料配信のhuluで見たのだけど残念ながらシーズン3までしかまだ配信されていない。早く最終のシーズン5まで見られるようにしてください!ブレイキング・バッド、傑作です!!!

 

 

 

 

やっとヱヴァQ買った、見た…やっぱわからん。だけど。

新劇場版ヱヴァンゲリヲンQ。公開直後に一回見た。でんでん意味も何もさっぱり分からなかった。

 

さて、僕がエヴァンゲリオンと出会ったのは、世間を賑わしてからだいぶ経っての事だった。僕はロボットアニメは好きだったけど、いわゆるアニメアニメしたキャラの出てくるような如何にもオタクが好みそうなアニメは大嫌いだった。で、ガンダムは確かにアニメの革命であったしもちろんハマったけども、綾波レイや惣流アスカ・ラングレーのような見事オタクにど真ん中なキャラの出てくるエヴァンゲリオンは認めたくなかったのである。

 

たまたま10年ほど前、一応見ておこうか、という気に何故かなりレンタルして一気に見た。まさかこんなに硬派なアニメだとは思いもよらなかった。社会現象になるまでのアニメってやっぱ凄いもんだって。僕はものの見事にハマってしまった、まさしくQのアスカのセリフ「エヴァの呪縛」だ。14年どころか死ぬまで解けそうな気がしない。

 

そんなわけで、新劇場版が始まってから全て劇場で見て、DVDも買っている(※Blue-Rayには価値を認めないので買わない主義)のだけど、QだけはDVDを買うのを躊躇った。映画館で見たときまるっきり意味が分からず、カタルシスもなかった。全くの消化不良、序や破にあった見事な感動とはまるっきり逆のものだった。駄作でつまらなかったとは思わなかったが、エヴァに謎解きの楽しみは付き物とは言え、これはいくらなんでもやりすぎだと思ったし、僕には最早ついていけないと疑問を抱いていたから買うのを躊躇っていたのだった。

 

でもアマゾンの中古品を見てたら結構値下がりしてたので、ポチってみたのだった。こうなったら全巻揃えないわけにも行かんし…。

 

DVDを何度見たところでこんな謎だらけのもの分かるわけはない。聖書まで読まないとわからないような意味不明の用語が散りばめられ、訳の分からない場面の数々、いきなりの破からの14年後の世界、破の予告編を一切破棄した作り、出てくるぶっ飛び過ぎのメカの数々、キャラ達のセリフも何もかもさっぱり意味不明…。

 

仕方ないので、ネットで考察サイトをつまみ食いしてみるが、少しはわかった気にはなれるものの、「何を言っているのかさっぱりわからないよ!」のシンジ状態は変わらず。ただ、素直に見ていたら、観客はシンジ以外の誰とも共感できない作りになっていることだけはわかってきた。そう、Qはその主役である碇シンジ君の心境だけが観客にもろ分かりの構図になっているのである。それと対比するように他の全てがさっぱりわからない。

 

僕個人の感想としては、理解が間違っているかもしれないという予防線を予め貼らざるを得ないが、新劇場版は今まで3作見て共通しているのはこれははっきり碇シンジくんが明確な主役・中心人物の物語になっている、ということである。旧作はそうではなかった。一応形の上ではシンジだったけど、みんながそれぞれ主役だった。多分テレビだったからそれが可能だったのであって、映画という限られた表現手段の中ではシンジを中心にせざるを得ないのかもしれないけども、それにしてもメッセージがはっきりわかりやすいように思う。これはおそらく、シンジが荒廃した世界を如何に強く生き抜こうとしていくかを描くドラマに違いない…と思いたいのである。

 

旧劇はこれがまるっきり正反対で、シンジはぼろぼろに弱くなって、最後にはもはや動きすら止めてうずくまり、アスカに「気持ち悪い」と最低の言葉を発せられてしまうほどに惨めになっていくドラマだった。それはそれで、こうした描き方に少しなりとも共感できる個人的体験のある人ならば、シンクロ率120%、精神的に満たされる部分はあった。よくぞ言ってくれた、アスカ、いや庵野さん、そう「僕は気持ちわるいんだ」って。存在が耐えられないんだって。

 

実は話の流れから言えば、このQの結末までは一応旧劇の流れに沿っている。Qの最後では実に情けないシンジとなっている。エントリープラグの中で身体を丸めるその姿は旧劇版で階段の下にうずくまったシンジに重なる。「何もしたくない」シンジなのである。でもこれは旧劇版とは逆の物語のはず。だから最後のシン・エヴァンゲリオンではきっとシンジはそのどん底から見事に強く立ち上がってくるはずである。

 

そういう視点で見ているとアスカがシンジの事をガキ呼ばわりしているのも、ストーリー上の伏線であることが朧げながらに見えてきた。ともあれ、最後までちゃんと見るしかないですな。

南京事件議論の思い出

探偵ナイトスクープの構成作家の一人であるという百田氏のツイートに反論ブログ記事を書いてちょっと昔の事を懐かしく思い出してみた。

 

僕が集中的にネットで南京事件を議論してたのは多分2年程だと思う。

 

議論を続けるには細かく、より深く調べなければならないことも結構あって、大規模図書館にでも行かないと絶対に得られないような古い資料を漁る手間や、常に手持ちの必要のありそうな書籍の購入など、時間的・費用的なコストがそれなりにかかるので、貧乏暇なしの人間にとってはちょっときつかったのだ。

 

それともう一つ、結局不毛な議論にしか思えなくなったというのも大きい。なんでこんなことしてるんだろう?って。僕はそもそもネットで否定派と戦うつもりもなかったし、きっかけはほんとにたまたまネット掲示板で見かけた、うそっぽい否定論に反応しただけの事だった。それが気が付いたら熱中していただけなのだった。

 

さて、それはそれとして、彼らネット否定論者たちにも様々な主張があったけれど、延々議論していると実際のところ、ネット否定論者も少なくとも数千人程度の殺害行為があったこと自体は否定し得ないということに気付く。いわゆる便衣兵議論である。この議論は概ね以下の二点の争点がある。

 

  • 捕虜とせず殺害したことは違法か否か
  • 民間人を巻き込んだのはどちらの責任か

 

実のところ、議論は結局延々こればっかりだった記憶がある。延々ずっと平行線を辿る。たぶん僕がここで、わずかでも自説を開陳すると、それを見た否定派はその自説に飛びつくに違いない。だから僕はあえて自説は言わないことにする。正直約10年経った今でもあの議論の不毛さには飽き飽きしてる。ただ色々と勉強にはなった。戦時国際法というものがあるなんて知ったのはこうした議論をしたからだ。戦数論*1なんて一般にはほとんど馴染みのない法理論を調べるべく足繁く図書館に通ったのが懐かしい。

 

さて、前回のブクマコメントで「少しは戦争や攻囲戦について勉強しようね」って意見があった。僕も「軍事知識に乏しい」とよく論争相手から批判されたものである。悔しいからそう言われると悔しいから自分で色々調べたりもしていたけども、ネットには僕なんか到底かなわない軍事知識オタクはたくさんいた。南京事件議論に限定すると当時最強だったのはja2047氏である。残念なことに数年前急逝された。

 

ja2047 memorial @wiki - トップページ

 

こんなページが有志によって纏められるほどの有名人というか、多くの人から評価の高い人だった。実は僕もこのページに言葉を寄せているけど、特定されたくないので申し訳ないが誰であるかは言わないで置く。ともあれ、ja2047氏の周到で詳細な議論を拝見させてもらったおかげで、例えば写真には実際のところ完全に捏造と言えるようなものはない、なんて知識も得た。但しこれはja2047氏だけの貢献ではなく、他にも多くの人の貢献もあった。僕はそれまで、捏造写真はあると思い込んでたから目から鱗だった*2

 

肯定派ばっかりすごい人がいたわけではなく、否定派にもすごい人はいた。有名なのはグースっていう人だ。グース氏とネット肯定派で有名なK-K氏の議論は固唾をのんで見守るくらい緊張感があったなぁ。とにかく、お互い南京事件議論解説用の専用サイトを持つくらい知識に長けてた。お互い一歩も譲らず、すっごい詳細なやり取りをされてたと思う。見解は異なれども、ネットの否定派によく見られるようないい加減な議論をしない点だけは尊敬していた。

 

ちなみに実は僕は最初は否定派に近かった。中国共産党なんて信用できないし、でまかせばっかり言ってるってイメージは持ってた。でも自分で少し調べてみると、日本の否定派の言うことには「あれ?」って思うことがどんどん出てきて、否定論に納得できなくなっていった。

 

どっちに賛同するにせよ、自分で調べてみるべきだと思う。百田氏のように安易に使い古されて腐敗臭のするような否定論ばかり使う人は、その真偽について、多分自分で調べたことは一度もないんじゃないだろうか。

 

*1:戦時には戦時国際法上違法な行為でも軍事的に必要があればその違法性が阻却される、という理屈みたいなもの。しかし学者でも結構細かく見解が分かれる

*2:南京事件のものではない写真が南京事件のものであるとして使用されたという意味の捏造写真はある。これを誤用というかどうかは別として

南京事件否定論は腐っても使い回される法則

 

Twitter / hyakutanaoki: 意外に知られていないことだが、南京陥落当時の日本と中国は国際 ...

 

 

よく知らなかったが、この百田直樹という人は放送作家・小説家だそうだ。今は見ないが、かつては毎週欠かさず見ていた程好きだった「探偵ナイトスクープ」の構成も手掛けたとか。「たかじんのそこまで言って委員会」にも出演することがあるとか。まぁこの人がどんな人かは割とどうでもいいが、この人の上のようなツイートを見たとき、僕は時代が過去に戻ったのかと思った。

 

もう10年以上前になると思うが、一時期僕は南京事件議論にはまり、ネット上で否定派相手に相当議論をしたものである。図書館にまで出かけて古い資料を漁ってコピーして持ち帰ったり、自分でも分厚い資料本をネット古書店で買ったり、かなり熱中してたといってもいいだろう。その成果のほんのわずかな一部分がその筋では超有名なサイトである南京事件−日中戦争 小さな資料集の片隅に採用されたりしている。あまりに片隅過ぎてどこなのかは恥ずかしくて言わないが。

 

なので、記憶はぼやけてはいても南京事件議論の内容は色々と知っている。否定論を世に広めた功績として大きいのは小林よしのりの『戦争論』で、否定派大御所の故・田中正明東中野修道などの否定論を用いて世に喧伝した。こうした否定論はその度に大抵は肯定派人に論破されてきた。何せ内容が酷い。

 

例えば有名な否定論に「南京には当時20万人しかいなかったのに30万人殺せるわけがない」というものがある。ところがこの短い文章の中には多くの誤りが含まれている。詳しくは資料を細かく当たらないとなかなか分かりにくいが、概略、この20万人というのは南京攻略戦被害から逃れようと南京市内に設けられた安全区に避難した市民の人口である。ものすごく大雑把に言うが、この人たちは大虐殺の人数にはそもそも含まれないのである(※実際には含まれるのだが割合的にという意味で)。そしてこの人数には中国軍人の数は入っていない。30万人という虐殺数の中にはその中国軍人もかなりの割合で含まれるのである。さらに、日本の肯定派学者の間でも30万人という数は信じられていない。中国の学者だってどうやらまともに受け入れていないらしい。つまり、「南京には当時20万人しかいなかったのに30万人殺せるわけがない」→だから嘘である、というような単純な理屈は全く成り立たないのである。

 

とにかく否定論というものの多くはこのような感じで、短い否定論の中に多くのウソを含ませる。冒頭のリンクも例外ではない。

 

意外に知られていないことだが、南京陥落当時の日本と中国は国際的には戦争状態ではなかった。だから当時の南京は欧米のジャーナリストやカメラマンが多数いた。もし何千人という虐殺が起こったりしたら、その残虐行為は世界に発信されていたはずだ。しかし実際にはそんな記事はどこにもない。

 

前段は何が言いたいのかよくわからない文章になってる。日中双方ともに宣戦布告しなかった、そこには互いの利害があったからだが、実質的には戦争状態だったことは常識である。南京攻略戦は双方とも膨大な死傷者を出すほどの激戦で、取材は大変危険なものであり、実際のところ陥落後も南京市に残って取材を続けたのはニューヨークタイムズ紙のティルマン・ダーディン含め5名で、彼らも陥落から三日後には南京を離れている。これを「多数いた」と表現していいのかどうか僕にはよくわからない。

 

で、後段だけども、「実際にはそんな記事」があるのは有名な話。「南京事件 ダーディン」でググると出てくる。他にはシカゴデイリーニュースのA.T.スティールの記事もあるし、ロイターのスミスによる講演記事などもある。こんなのは今の時代、ggrksである。ていうかこいつ、何十年も前にとっくに論破済みの古いネタを恥ずかしげもなくよく使うよなぁ。このネタを最初に使ったのは否定派の祖先みたいな故・田中正明である。当時すでにあっという間に肯定派に論破されている。

 

ところで、関西には南京事件否定論に与する人が有名人に結構いるのではないかと思う。有名どころでは浜村淳がそうで、彼がパーソナリティを務める「ありがとう浜村淳」というラジオ番組で、「南京大虐殺は真っ赤な嘘っぱちなんです」みたいな話をしてるのを拝聴させてもらったことがある。

 

そういうなんか、繋がりみたいなので百田氏も毒されちゃったのかもしれないね。

 

※追記

またまたホッテントリに百田氏の別のツイートが上がってきたので暇つぶしにやっつけてみるとする。なおこのネタを使用する否定派はさすがにあまりいないと思う。

 

Twitter / hyakutanaoki: 私が十代の頃(今から40年前)、中国は南京大虐殺の被害者は1 ...

 

私が十代の頃(今から40年前)、中国は南京大虐殺の被害者は100万人と堂々と主張していた。しかしその後、心ある日本の知識人たちが、中国の主張の矛盾を指摘し、反論と 反証を試みると、中国は被害者数をどんどん減らしていき、今は30万人と言っている。バナナの叩き売りかよ。

 

このネタ元は確かにあった気がする。誰かが調べてたけど残念ながら記憶が出てこないのでだれが言い出したかもわからない。うっすらと何か百科事典ぽいものにそう書いてあった、というような話だった気がする。…違うかなぁ、知ってる人がいたら教えてほしい。

 

で、南京大虐殺の犠牲者数が30万人というのは、戦後に行われた軍事裁判の一つ、南京軍事法廷での判決文からである。公式数字はこれ以来変わらない。以下のゆう氏による資料ページに判決文がある。

 

南京軍事法廷判決

 

 調査によれば虐殺が最もひどかった時期はこの二十六年十二月十二日から同月の二十一日までであり、それはまた谷壽夫部隊の南京駐留の期間内である。中華門外の花神廟・宝塔橋・石観音・下関の草鮭峡などの箇所を合計すると、捕えられた中国の軍人・民間人で日本軍に機関銃で集団射殺され遺体を焼却、証拠を隠滅されたものは、単燿亭など一九万人余りに達する。このほか個別の虐殺で、遺体を慈善団体が埋葬したものが一五万体余りある。被害者総数は三〇万人以上に達する。死体が大地をおおいつくし、悲惨きわまりないものであった。

 

百田氏が40年前にいったい誰からそんな数字を聞いたのか…そんなことはどうでもいいけども、僕がうろ覚えのうら覚えでの記憶では、「最初30万だったのにそれが42万と増え、ついには100万と主張するようになった」というような説が原型だと記憶する。百田氏のバナナの叩き売り説とは真逆に大幅に水増ししていった、というわけだ。…でもこれソースが出てこなくて、不確かな話なので御注意を。

 

ついでに言うと、中国はこの判決に当たり、特に厳密な数量調査をしたってことはないように思います。いろんなところから出てきた埋葬数の記載事実やあるいは証言などの数字を足すとそういう数字になる、と言っただけのような気がします。被告に判決を下す為のものでしかないので、正確さは不要だったのでしょう。ではでは。