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思いつくままに書きたいことを書き連ねる為のブログ。

反省するということが苦手な人たち

「自戒を込めて」という卑怯な自己保身 - ihayato.書店 | ihayato.書店

 

このエントリ自体はほとんどどうでもいいのだけど、「反省する」っていうのはなかなか大変なことである、ということをちょっと書きたいと思った。

 

「自戒を込めて」っていうのも反省の一つだ。我が身を省みると、これは自分にも当てはまるから、ってんで自分にも戒めておく。しかしこれなかなか出来る話ではない。イケダ師匠なんかは、反省しようったってそのブーメランが自分に突き刺さってても気づかないくらいだから、いかに大変かわかりそうなものだろう…でもその大変さもわかってないな師匠。

 

反省がやだ!って人たちの代表格はウヨクだ。ちなみに右翼とは書かないでウヨクと書くのにはそれなりの理由がある。いわゆる国体護持的な天皇崇拝系の人は街宣活動する人たちを含め正統派右翼だとは思うし、右翼のあり方としてはそれがまともだと思うけど、ウヨクは違う。似て非なる存在でウヨクは徹底的な排外主義であり、とにかくやたらと攻撃的で、その際たる特徴は反省を極端なまでに嫌うどころか、完璧に開き直りきる。日本人は悪くないどころか世界に誇れる優秀で正義の民族であり、余所者とは違うのだ!と。

 

偏狭な精神の持ち主であるところの彼らにとっては、それが果たしてとにかく居心地のいい場所であることはわかる。彼らが排外的にふるまう暴力は、自らの依存している思想が絶対的に正義なので、罪悪感など微塵もなく、その攻撃によって相手の上に立つことが出来るから気分爽快であろう。彼らはその存在自体が正義であり異論を挟む余地など欠片もないのである。

 

そんな彼らにとって、日本が中国や韓国に詫びるとか反省を示すなどという行為は、もはや彼らに生きる為の餌を与えるようなものだ。それがたとえ、外交や経済の問題に発展しようがどうであろうが、そんなことはどうでもいい話なのである。ともあれ、反省などあり得ない話なのだから。

 

…とちょっとオーバーヒート気味にウヨクの事を語りすぎてしまった。昔取った杵柄というか、ほんとに長いこと言い争ってたからなぁw

 

ほんとに反省するというのは得てして難しいことが多いのだけど、実際にはみんな当たり前のようにやってることでもある。たとえば、朝会社に遅刻してこっぴどく叱られたりしたら、今後そんなことは二度とないように目覚まし時計を買うとか工夫をすることは普通にやってるわけだ。我々はそんな風に日々、何かそういった失敗などあるたびに反省という行動をとることによって改善を行うことが出来る。というか、反省のない社会はあり得ない。ちょっと考えても我々の生活や社会は反省だらけで成り立っているといっても過言ではない。むしろ反省することはどうやったって避けられないのである。

 

ただ、反省しない方が居心地がいいというか、精神的には落ち着くというか、その辺はわかる。自分は悪いって罪の意識を持つことは、とにかく精神的にはよろしくない。罪を憎んで人を憎まずなんていうけれど、なかなかそんな風に割り切れたものではない。人は責めるにしろ責められるにしろ、その人自身の存在というか、その人そのものが悪い、とどうしても思ってしまう。だから、自分を責めず、あるいは自分を責めることを認めず、の姿勢への誘惑に勝てない場合があるのだろう。それを認めたら自分のアイデンティティが揺らぐ、自死に等しいとさえ…。

 

だけど、エヴァのミサトは死ぬ直前、シンジにこう言った。

  

「今の自分が絶対じゃないわ。後で間違いに気づき、後悔する。あたしはその繰り返しだった。ぬか喜びも、自己嫌悪を重ねるだけ。でも、その度に前に進めた気がする。」

 

 いきなりエヴァンゲリオンとか無関係も甚だしいのだけど(笑)、なかなかいいこと言うなあと思った。自己嫌悪しても、そのたびに少しずつでも前に進めるのなら、自分を責めることを厭う、その気持ちを少し抑えることくらいしてもいいのではないか。自分を信じるとは、その少しでも前に進める可能性はあると信じることなのであって、自身の主義主張に拘って一歩も進まないでアイデンティティなる実体のない殻の中に閉じこもることを意味するのではない、と思うのだけどね。