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やっとヱヴァQ買った、見た…やっぱわからん。だけど。

新劇場版ヱヴァンゲリヲンQ。公開直後に一回見た。でんでん意味も何もさっぱり分からなかった。

 

さて、僕がエヴァンゲリオンと出会ったのは、世間を賑わしてからだいぶ経っての事だった。僕はロボットアニメは好きだったけど、いわゆるアニメアニメしたキャラの出てくるような如何にもオタクが好みそうなアニメは大嫌いだった。で、ガンダムは確かにアニメの革命であったしもちろんハマったけども、綾波レイや惣流アスカ・ラングレーのような見事オタクにど真ん中なキャラの出てくるエヴァンゲリオンは認めたくなかったのである。

 

たまたま10年ほど前、一応見ておこうか、という気に何故かなりレンタルして一気に見た。まさかこんなに硬派なアニメだとは思いもよらなかった。社会現象になるまでのアニメってやっぱ凄いもんだって。僕はものの見事にハマってしまった、まさしくQのアスカのセリフ「エヴァの呪縛」だ。14年どころか死ぬまで解けそうな気がしない。

 

そんなわけで、新劇場版が始まってから全て劇場で見て、DVDも買っている(※Blue-Rayには価値を認めないので買わない主義)のだけど、QだけはDVDを買うのを躊躇った。映画館で見たときまるっきり意味が分からず、カタルシスもなかった。全くの消化不良、序や破にあった見事な感動とはまるっきり逆のものだった。駄作でつまらなかったとは思わなかったが、エヴァに謎解きの楽しみは付き物とは言え、これはいくらなんでもやりすぎだと思ったし、僕には最早ついていけないと疑問を抱いていたから買うのを躊躇っていたのだった。

 

でもアマゾンの中古品を見てたら結構値下がりしてたので、ポチってみたのだった。こうなったら全巻揃えないわけにも行かんし…。

 

DVDを何度見たところでこんな謎だらけのもの分かるわけはない。聖書まで読まないとわからないような意味不明の用語が散りばめられ、訳の分からない場面の数々、いきなりの破からの14年後の世界、破の予告編を一切破棄した作り、出てくるぶっ飛び過ぎのメカの数々、キャラ達のセリフも何もかもさっぱり意味不明…。

 

仕方ないので、ネットで考察サイトをつまみ食いしてみるが、少しはわかった気にはなれるものの、「何を言っているのかさっぱりわからないよ!」のシンジ状態は変わらず。ただ、素直に見ていたら、観客はシンジ以外の誰とも共感できない作りになっていることだけはわかってきた。そう、Qはその主役である碇シンジ君の心境だけが観客にもろ分かりの構図になっているのである。それと対比するように他の全てがさっぱりわからない。

 

僕個人の感想としては、理解が間違っているかもしれないという予防線を予め貼らざるを得ないが、新劇場版は今まで3作見て共通しているのはこれははっきり碇シンジくんが明確な主役・中心人物の物語になっている、ということである。旧作はそうではなかった。一応形の上ではシンジだったけど、みんながそれぞれ主役だった。多分テレビだったからそれが可能だったのであって、映画という限られた表現手段の中ではシンジを中心にせざるを得ないのかもしれないけども、それにしてもメッセージがはっきりわかりやすいように思う。これはおそらく、シンジが荒廃した世界を如何に強く生き抜こうとしていくかを描くドラマに違いない…と思いたいのである。

 

旧劇はこれがまるっきり正反対で、シンジはぼろぼろに弱くなって、最後にはもはや動きすら止めてうずくまり、アスカに「気持ち悪い」と最低の言葉を発せられてしまうほどに惨めになっていくドラマだった。それはそれで、こうした描き方に少しなりとも共感できる個人的体験のある人ならば、シンクロ率120%、精神的に満たされる部分はあった。よくぞ言ってくれた、アスカ、いや庵野さん、そう「僕は気持ちわるいんだ」って。存在が耐えられないんだって。

 

実は話の流れから言えば、このQの結末までは一応旧劇の流れに沿っている。Qの最後では実に情けないシンジとなっている。エントリープラグの中で身体を丸めるその姿は旧劇版で階段の下にうずくまったシンジに重なる。「何もしたくない」シンジなのである。でもこれは旧劇版とは逆の物語のはず。だから最後のシン・エヴァンゲリオンではきっとシンジはそのどん底から見事に強く立ち上がってくるはずである。

 

そういう視点で見ているとアスカがシンジの事をガキ呼ばわりしているのも、ストーリー上の伏線であることが朧げながらに見えてきた。ともあれ、最後までちゃんと見るしかないですな。