Non title

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改めて、ブレイキング・バッド。これはドラマ界の完璧なピタゴラスイッチであるw

 

ブレイキング・バッドが最高に面白い! - Non title

 

と言う記事を一年以上前に書いていたわけだが、あれから二回ほど一から通しで見て、最近、吹き替え版でまた見た。ほんとに素晴らしい作品ならば何度見ても素晴らしいということを改めて自分自身に証明出来た。

 

吹き替え版を見出した当初は、「やっぱ字幕版かな~」と、例えば主役のウォルターの吹き替え声優の方、の咳の仕方がいまいちだと思ったりしていたものの、進むにつれそんなことは気にならなくなり、そのうちにむしろ声優陣がかなりハマっているのではないかとさえ思うようになっていった。また、字幕版に比べ吹き替えだと、字幕版の場合、視聴者の読む速度を考える必要があることから、吹き替え版の方が若干情報量が多くなる。訳し方にもよるけども、字幕版では訳されてなかった微妙な部分が吹き替えでは割と対応するように訳されていたりもしたので、作品に没頭したいのなら吹き替え版も大いにありかもしれないね。尤も英語が理解出来たら一番いいとは思うけども。

 

あちこちで散々言われているが、このドラマ、脚本がパーフェクトと言っていい。普通のドラマだとしばしば、「あれはどうなったんだろう?」というようなことがある。簡単な例だと、アクション物で登場人物がかなりの怪我を負ったにもかかわらず、それほど時間も経たずにまるでその怪我がなかったかのように活躍してたりすることがあるが、このドラマはむしろその怪我の治癒状況まで利用する。例えば、主役のウォルターが相方のジェシーと壮絶な喧嘩をして顔などにかなりの怪我をすると、翌朝自宅でベッドから起きようとしたウォルターが頭まで被っていたシーツをめくろうとすると、シーツがその頭の怪我にひっついてて、それを引っ剥がす際のシーンなんかほんとにこっちまで痛くなってくる、みたいな。

 

そうした細かい出来事や状況を巧みに次から次へと、このドラマは全く破綻なくしかも面白くなる方向ばかりで延々繋いで行く。だから「あれはどうなったんだろう?」なんてほとんど思わないで済む、というよりもむしろドラマの中の物事はすべてドラマの中で利用されていて、全く隙がない。あえて言うならば、見た人ならだれでもそう思うだろうけど、あのぬいぐるみの目玉は何だったんだ?、くらいである(笑)

 

他にも例を上げてみよう。ウォルターがガス・フリングという組織のボスに不信を持たれてしまうような状況に陥り、覚せい剤製造工場内に監視カメラを仕掛けられてしまう。このシーンの意図は、この監視カメラ設置という行為によってウォルターとガスの間の信頼関係が無くなったという状態を見ている方に明示的に示す効果を与えることにある、と普通は思う。普通のドラマなら小道具の使い方なんてだいたいそんなもんでお仕舞いである。あるとしても、監視カメラに映らないところで隠し事をするとか、監視カメラをごまかすとか、そういうシーンに使われるといった程度だろう。

 

まさかこの監視カメラが、ウォルターにとって最もバレてはいけない麻薬取締局捜査官でもある義弟のハンクに、その正体がバレる一つのきっかけを与える小道具になろうとは誰も思うまい。しかもさらに、この監視カメラは後におっそろしく面白い事件?を引き起こすのである。さらにその上…、といった具合にたかがたった一つの小道具にすぎない監視カメラでさえもストーリー上のなくてはならない重要な道具にしてしまう、といった感じなのである。大げさに言えば、ブレイキング・バッドの登場する全ては、その全てがブレイキング・バッドになくてはならない物だけで構成されている、と言ってもあながち誇大な言い過ぎではあるまい。

 

さて、前回の記事ではシーズン3までしか見てなかったが、このドラマが素晴らしいのはラストだ。こんなに完璧にラストがラストになってるドラマは、少なくとも僕は見たことがない。納得がいかなかったり、無理やり終わらせるドラマの如何に多いことか。だがブレイキング・バッドのラストは、全く驚くべきパーフェクトさだ。驚くべきどんでん返しといったものはないが、ドラマ全体を完全に幕引きさせている。

 

まったく、ドラマ界のピタゴラスイッチだ、これは。

 

…とまぁ、一回賞賛し出すと止まらない性分なのでこのくらいでやめておくけど、一つだけブレイキング・バッドには悪い点がある。ていうか、その一点である意味最悪なドラマだとも言える。あまりに素晴らしすぎて他のドラマをなかなか見る気になれない、ということだ(笑)、いや実際マジで見る気にならなくてそろそろhuluやめようかと思ってるくらいなんでね。