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思いつくままに書きたいことを書き連ねる為のブログ。

南京大虐殺とは何か?

しばしばブログを放ったらかしにする癖は何とかしたいものではあるが、言い訳すると、たまに書き始めはするのだけど途中でまとまらなくなり、そのまま寝てしまうからである(笑)。

 

さてしかし、僕はブログの仕組みとかネットのこととかほんとに知らない人で何がどうなってるのかどう調べればよいのかも殆どわかってないものぐさ人間なのだけども、はてなブログ(無料)では一応簡単なアクセス解析が出来る。それで、ちらと見てみると全く更新していないにもかかわらずどうもある記事が時折読まれているらしい。

 

 

南京事件否定論は腐っても使い回される法則 - Non title

 

閑古鳥鳴く、誰も訪れない廃墟のような僕のブログで唯一、ブクマが多くついている記事で、最近ではたかじんの件などで騒がれている百田氏のツイートに関する記事である。それなりにタイムリーだったからだと思うが、恥ずかしながらこの頃既にベストセラー作家でそれなりに知名度のあった氏のことを当時はほとんど知らなかった。

 

さて、この記事についたブクマコメントを読むとさすがにはてな民は知的というか、なかなかそれなりに知識のある方が多くて、僕は南京大虐殺を解説しなくても多分僕なんかよりずっと詳しい方も多いのであろうけども、ネットをウロウロしているとわけも分からず南京大虐殺のことを語っている人がかなり多いことに気付く。そこで、ブログを久々に書くネタとして、物凄く初心者入門的に南京大虐殺のことでも書こうかなと思いついた。書いたからってほどんど読まれないどころか、辿り着いてくれそうにもないけども…。

 

南京大虐殺とは何か。

詳しいことはWikipediaを見て下さい。終わり。…いやいや、そうだよ、確かにWikipediaを先ずは見るべきなんだし、結構詳しく書いてます。さすがにあそこに描く人たちのレベルには僕は全然至ってない。…ただ至ってはいないのだけども、分かることはあります。というのは、Wikipediaの記述だけでは実のところ全然足りないのです。いやね、表層的な知識として持つという意味ではあれで十分すぎるとは思うけども、Wikipediaの説明だけでは全然十分ではない、ということだけは言えるというかね、当然なのだけども。

 

もしこれを読まれて、それなりに南京大虐殺について語りたい、あるいは議論なんかしてみたいとか思うのであれば、最低でも秦郁彦先生の『南京事件ー「虐殺」の構造』(中公新書)を一読して頂きたい。これは肯定派否定派ネトウヨはてサ問わず、基本的に必要な情報が非常にコンパクトに纏まってて、細かい内容の正否・賛否等はさておき、良書だと思います。僕が持っているのはずいぶん古くて、最新のはどうも内容が加筆修正されているらしいけども、多分大筋ではそんなに変わらないでしょう。

 

 

南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書)

南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書)

 

 

なんでこんなことを書くかというと、百田氏のようなアホみたいな事を言って恥かかないように、という僕なりの気遣いです(笑)。実際Wikipedia南京事件論争の項を読めば分かるとおり、本多勝一朝日新聞連載記事『中国の旅』が論争史の始まりとすれば、実に現在まで約45年も続いてるんです(続いてるというか、歴史が古いってことですけどね)。そんだけ続いてりゃ多くの論点について細かく色々と議論されているわけであり、その気になってちょいと調べりゃ、とっくの昔に本に書かれていることもかなりある。なので、ネット情報とか或いは週刊誌やら新聞やらの記事、テレビの識者の発言とかを鵜呑みにしない方がいいです。百田氏は鵜呑みにしたから恥かいたわけです。まー百田氏はWikipediaすら見たこともないようですけどね。

 

南京大虐殺はさんざん議論しつくされてきたおかげで一次資料に比較的当たりやすい分野だと思います。一次資料といっても、例えば日記原本そのものを見られるというわけではありませんが、そうした日記などの記載内容を南京事件に絞って取りまとめた資料集が図書館などで簡単に閲覧できます。別に図書館に行けとか自分で詳細に調べつくすべきだ、とまでは言わないけども、せめて前述した秦氏の著書くらいは目を通しておいてから南京事件については語ったほうがよろしいかと。

 

…あ、また途中でまとまらなくなってる感じの記事になってきたな。初心者入門的に南京大虐殺のことを書こうとしてたんだっけ(笑)

 

では初心者的入門開始。あくまで初歩的な説明だけですよ、繰り返しますが秦氏の著書くらいは読まれることをおすすめします。

 

南京事件が起こった当時、1937年ですが、日本は中国と戦争中だったんです。戦争と言ってもお互い宣戦布告せずにやってたんで、形式上は正式な戦争ではなかったんですけど、ともかくも戦争してたんですよ。戦争の理由や原因はややこしいので説明は省きますが、日本が中国領土で中国と戦争していた、という地理的状況は重要です。日中戦争といっても別に中国は日本領土には攻め込んでないんですよね。状況としては一方的に日本が中国領土に攻め込んでいるわけです。

 

で、ですね、ある時、日本側は当時中国の首都であった南京を落とそうと大軍を用してその南京を攻め落とそうとします。南京ってそこそこ中国の内陸部にあるんですよ。日本は中国大陸東岸からしか軍隊を上陸させられませんから、既に中国で編成されてた上海派遣軍を含め東側から西へどわーっと大軍で南京を攻略し始めます。東から西といっても一直線ではなくて、南京から見て北東側から南東側までに分かれて一斉に攻めこむような感じかな。四方八方とまでじゃないけど、とにかく周りから南京に集まっていく形で攻めこんでいったわけです。

 

とにかく当時の日本軍は勢いがあったので、攻め入ってから一ヶ月待たずに、とうとう南京までやってきたわけです。日本軍は師団なんて単位があったりするんですけど、師団同士で「俺らが一着になるんじゃー!」みたいに争ってたりしてましてね、とにかく首都南京を落としたら、日中戦争勝ったも同然!みたいな雰囲気だったし、かなりの死傷者も出たきつい戦場だったこともあり、とにかく早く終わらせたい。

 

ところでですね、ここで少々変なこと言いますけど、当時の装備で交戦状態でですよ、南京ていう首都落とそうとして戦って、一ヶ月も待たずに南京を攻め落とすような状態で、敵兵の大半を殺せるでしょうか? 日本軍兵士たちが正確無比なスーパースナイパーでもない限りそんなことは不可能です。敵軍は色々と諸説ありますが10万人くらいいたと言われてます。つまり、殺されず白旗上げたであろう大量の捕虜が出たのです。

 

実は、日本軍はこの捕虜をどうするか、大して考えずに南京攻略戦をしたのです。しかも、日本軍上層部はこの日中戦争を公式には戦争と認めたくないがために、捕虜が出ても捕虜と呼ぶな!と全軍に通達まで出していた。でも実態は戦争なんやから捕虜出るやん?どないせいっちゅうねん? 捕虜と呼ぶなどころちゃうやん? 数千数万も捕虜が出てるんやぞ?

 

実際、当時の現地軍隊は大量の捕虜に困り果ててます。例えば、

 

捕虜の仕末に困り、恰も発見せし上元門外の学校に収容せし所、一四、七七七名を得たり、斯く多くては殺すも生かすも困つたものなり、上元門外の三軒屋に泊す

 

 

だなんて、山田支隊隊長の日記に書かれていたりします。ちなみに、この山田支隊が捕らえた捕虜については、幕府山事件と呼ばれて南京事件議論の中の一つの議論として有名で、全部殺したと言われています(殺したことそれ自体には特に肯定派も否定派も異論はあまりありません)。ともかくも、他の部隊にも大量に捕虜は捕獲されており、これをどう処理するか、非常に困ったことになったわけです。

 

さて、捕虜をどうすればよいかは、戦時国際法というものがありまして、一旦捕虜にしたら、原則として殺戮処分してはいけません。ここまでは肯定派も否定派も異論はありません。問題はその解釈になりますが…それはここでは述べません。

 

ところで、捕虜にした*1中国兵の他にも、困った中国兵がいました。というのは、南京陥落を目前にして中国国民政府主席の蒋介石重慶に遷都すると決定します。要するに逃げるってことです。そして、軍の一部を南京防衛に残し、多くの南京市民共々、一斉に南京から揚子江をわたって避難していきます。で、南京陥落直前になると防衛軍司令官自身も南京から逃げます。防衛軍の大半を残したまんまです。しかも、揚子江を渡るには通らざるをえない門を残された兵士たちは通ってはならぬと言明し、通ろうとした兵士たちを尽く撃ち殺します。こういう戦術は古くから洋の東西を問わずにあり自軍の逃亡を許さずにこのように撃ち殺す部隊を「督戦隊」と呼びます。まぁでも、状況から考えるに、督戦隊置いたところで残った兵力で南京を死守できるはずもないわけで、これが督戦隊戦法といえるかどうかは大いに疑問ですが。

 

というわけで、周りは日本軍に取り囲まれて逃げ場もなく、勝ち目もない状況で、司令官すらいない状態に置かれ残された中国兵達は、日本軍に捉えられて捕虜になるか、南京から逃げられなかった市民たちに紛れて隠れる以外に無くなってしまったのです。この後者が、南京事件議論ではいわゆる「便衣兵」問題として延々に議論され続けてきた問題です。日本軍は市民に紛れて中国兵が潜んでいることはすぐに分かってました。街の路上などに大量に軍服が脱ぎ捨てられたりしてましたからね。だから日本軍は南京に着くなり早速、中国兵摘発に乗り出します。こうした場合に潜伏残存兵摘発をするのは普通のことです。問題はその摘発残存兵の処理です。そもそも市民の格好をしている軍人をどうやって見分けるのか? 一説によると、その誤認率、つまり殺されたんですけど(これも殺された事自体には否定派も異論はない)、市民の混入率は三割だとも言われています。

 

概ね、ほんとに大雑把な初歩的入門的な認識として、以上のことが南京事件の概要です。他にも強姦や略奪、放火などがあるのですけどそれらは何故かほとんど議論になりません。せいぜい強姦の件数の問題くらいですかね…さすがに当時南京にいた外国人の記録などにある2万件とかちょっと信じ難いものがありますけど、そうしたラーベやボートリンなどの日記に頻繁に強姦被害の話は出てくるし、日本軍は強姦犯罪削減の目的で慰安所作ったりしてるし、強姦があった事自体は認めざるを得ないからかと思いますが。

 

ということで、南京大虐殺についての初歩的入門的説明を終わります。くれぐれも、ネットで南京事件のこと触れるならば秦先生の著書くらいは読んだほうがいいと思いますよ(笑)

*1:否定派陣営の一部はこの「捕虜」という表現を問題にするのですがここではそれら論争については触れません