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「ニセ科学をバカにする前に ~科学という名の宗教~」を読んで

ニセ科学をバカにする前に ~科学という名の宗教~

 

この記事に同意や反論をするわけではなく、触発されて持論を述べる。

 

ニセ科学、あるいはトンデモ、疑似科学、呼び方は色々だ。

 

「その論理過程に飛躍があったり誤魔化しがあったりするのに、科学っぽい体裁や理屈を整えて、いかにも科学的根拠に基づくしっかりとした発見や発明かのように主張する理論や製品を指します。」

 

というのがこの記事のニセ科学の定義のようだけども、僕的には「科学的に正しくない主張であってかつ科学的な体裁を装う主張」ということになると思う。重要な点は科学的に正しくないことである。だから、ニセ科学の主張は正統な科学によって論破されてしまうことになる。

 

僕も一度、恥ずかしながらニセ科学にまんまと引っかかったことがある。あまりに恥ずかしすぎて大きな口では言えないが、相対性理論時は間違っている、という主張の本にほんの一時期傾倒してしまったことがあった。ああ、なんて恥ずかしい(/ω\*)イヤン

 

非常に心が揺れ動いていた時期で、弱り目に祟り目、自己免疫機能が著しく低下していたから、とでも言い訳しておくけど、でも、件のブロガーの言うように疑うことが科学には必要だとしても、それだけでは足りないことを自らの体験から僕は知っている。相対性理論時は間違っている、という主張は既存の理論を疑ったものである。僕はその姿勢を科学的だと当時思ってしまい、ころっと引っかかってしまった。

 

一番大切なことは、正しいかどうか、なのである。このことに異論のある人はおそらくいないと思う。ここで、こう反論する人もいるだろう、「科学だって誤った理論を主張していたことはあったではないか、科学が常に正しいとは限らない」、と。

 

その通りである。科学的理論や主張が常に正しいわけではない。天動説は地動説に書き換えられたし、ニュートン力学相対性理論量子論より正しくない。しかしここで重要なのは、科学には神学理論は存在しないということである。いかなる理論も厳密で厳格な検証を受ける土俵に立たされており、誤っていたら潔く撤退しなければならない。このことが、科学の正しさを担保しているのである。

 

ところが、ニセ科学にころっと騙される僕のような情弱人間は、そんな厳密で厳格な検証をする能力を欠く。ニセ科学の主張を正しいかどうかなんて、よくわからない場合も多いのが実情。僕はそれでもなんとかある程度は判別できないこともないので、君子危うきに近寄らずの姿勢をとって、恥ずかしい事件以来少しは免疫能力が上がったこともあり、運良く騙されることなく過ごしては来たけど、免疫能力がそもそも低い人たちはころっと騙されてしまう。

 

どうしたら、ニセ科学に対抗できるか。それは個々人が免疫能力を上げるか、科学的判断能力を向上させるか、くらいしかないと思う。科学教徒がいくら布教活動したって、個々人の能力が上がらないと効果はないだろう。それに僕が免疫能力が向上したのも運が良かっただけで、詐欺師に何度も騙される人がいるように、騙される人は騙され続けてしまう場合も多いと思う。また、そういう騙されやすい人に限って「私は大丈夫」みたく過信してる人も多いので、科学教徒の注意など聞く耳持ってなかったりする…

 

ただ、僕の経験上だけど、危ういなーと思えるニセ科学ニセ科学には限定しないが…)判定基準はあるので、とりあえず箇条書きでもしておこう。

 

  • 常識に反しているように思える
  • 主張が偏りすぎてる、一方的に過ぎる
  • 波動とか、宇宙から来るとか、霊的な何か、とか言ったりしてる
  • 対立してる主張を紹介しない
  • あんまり聞いたことがないようなことを言ってる
  • 権威的な存在が言うから正しい、みたいなことを強調してる
  • 上から目線がきつい
  • 根拠になってるデータなどの引用元などがわからない
  • 結論が最初から前提されてるようにしか思えない
  • 自説を批判的に実証しようとする態度が見られない
  • 反論を正面から批判せず、反論する人や反論する行為を根拠なく批判する
  • 効果や成果ばかり強調する
  • 何かそれら説を疑うことを禁じているように感じる
  • 素直に考えると信じ難い

他にももっとあると思うけど、とりあえず思いついたままに羅列してみました。