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化学物質過敏症と南京事件と「悪魔の証明」について

化学物質過敏症に関するに喧しい論争について知ったのはかなり最近だ。興味を持ち出してまだ2週間程だろうか。

 

[化学物質過敏症] 医原病とする医師と過敏症患者らが意見の違いで炎上?! - NAVER まとめ

 

たったの二週間かそこらで問題の詳細についてそれほどわかるわけはないのではあるが、議論の中心人物になってるNATROM氏については、かなり前からはてなのホットエントリーによく上がってくるし、氏がブログテーマとすることの多い疑似科学やトンデモといったところには結構興味がある方なので*1、氏の論述も興味深く読んでいた。氏の論述は常に的確で、冷静であり、論理的であって非常に為になると思っているのが僕の立ち位置ってことになる。

 

さて、化学物質過敏症という症例があるのを知ったのは多分、何年か前に見たNHKのクローズアップ現代って番組からだったように思う。へぇ、世の中にはそんな病気もあるのだなぁ、という程度にしか思ってなかった。最近興味を持つようになるまでは、まさかその存在を疑われているとは考えもしなかった。だが、NATROM氏は公式にはそんなことは一言も述べていないが、極論すれば「化学物質過敏症は存在しない」、と言いたいらしい。ていうかはっきりNATROM氏はそう言っていいのではないかと僕個人は思っている*2

 

これに、ネット上で化学物質過敏症患者の人たちを中心にして論争が巻き起こったという状態だ。そりゃ、当のその病気で苦しんでいる人たちからすれば、そういう気持ちになるのも分からなくもない。ただNATROM氏の批判の矛先は化学物質過敏症を取り扱う臨床環境医に対するもので患者に対してではないらしいが、ともあれ、患者たちの逆鱗に触れたわけだ。

 

例えば僕が咳と高熱でしんどくなったので病院に行って、「あなたはだたの風邪です」と診断されたとしよう。そして風邪薬なんかを処方されたりする。ところがなかなか治らないし、変だなぁと思って別の病院に行くと「風邪じゃなくてインフルエンザですね」ってことになったとしよう。僕は多分そこで「やっぱりインフルエンザだったんだ!」って納得する。多分そんな感じで、化学物質過敏症患者の人たちは、鬱病やら何やら診断されても一向に良くならず場合によっては余計に苦しんだ末に、化学物質過敏症と診断してくれるところに行きついて、似たような感じで納得したのであろう。ああ、なるほど、そういう病気だったのか、だから他の病気と診断されてもその治療の効果もなかったんだ、みたいな。

 

インフルエンザの場合は、もちろん診断方法が確立してるからまず間違いはあるまい。僕は以前は化学物質過敏症もそうだと思っていた。ところが、化学物質過敏症はそうではないらしい。詳しい診断内容等についての知見は現時点では僕にはないけど、乱暴に言えば「何らかの微量の化学物質がそうした症状を引き起こしている可能性がある」と言っているに過ぎないらしい。ただの推測なのだ。症状を引き起こす仕組みもさっぱりわからず、調べてもいったいどんな化学物質が反応を引き起こしてるのかも見当もつかない。いっちばん妥当と思われるホルムアルデヒドって物質で化学物質過敏症と診断されている人を対象に試験しても症状の出る人と出ない人がいる。その他にも色々、どうにも納得しづらい調査結果しか得られていないらしい。

 

化学物質過敏症患者に言わせれば、「さっぱりわからないなんてことはない。農薬が使用された野菜や果物がそばにあるだけで確かに気分が悪くなるのだ!」らしい(※例えばそういう人がいるという話)。でもそばにあるって言うけど、ほんとに匂うほど顔のそばにあるならともかく、計測不能なほどの超極微量の農薬成分が影響しているという程度しか考えられない状態で身体に異常をもたらすってのもなかなか常識では考えづらいものがある。理解に苦しむってのが正直なところだろう。それで、NATROM氏のような懐疑論者はその原因を「心因性」、つまりそういうものがそばにあると心に思うことで症状が引き起こされているのではないか?というわけだ。ただ、農薬使用の野菜や果物がそばにあるとは知らなかったのに気分が悪くなったので、周囲を見渡したらそういう野菜や果物があった、なんてこともあるそうな。

 

閑話休題。

 

解説めいた話はそれくらいとして、議論をネットで追っていたら、以下の様なブログ記事を見つけた。

 

患者の自己決定権と化学物質過敏症 | こりゃ、ほたえな

 

引用してみよう。

たとえば、1937年末から翌年にかけて日本軍が中国軍民を虐殺するなどした歴史的事件「南京事件」について、その事件の存在をしめす史料は膨大にあり、事件の実在を疑うことは不可能であるところ、「南京事件は存在しない」と考えたい論者がしばしばこの言葉を口にする。かれが一体、どういう理路をもってその言葉を持ちだしたのか、まったくわけが分からないだろう?普通の人間ならば、みんな理解できなくて当たり前だ。

かれは実のところ、こう考えている。「南京事件は存在しない」→「不在を証明することはできない(悪魔の証明)」→「だから不在を証明する責任はない」「証明を抜きにして不在を主張できる」、と。

言うまでもないが(しかしあえて繰りかえすが)、南京事件の存在をしめす史料は膨大にあり、事件の実在を疑うことはもはや不可能である。もし、南京事件が存在しないのだとすれば、これらの史料が存在し、これらの史料が示唆する事実はなんだというのか?

かれは、南京事件の不在を主張するならば、まずこれらの史料群から導きだされる事件実在の証明を崩さなければならない。

よく誤解されているのだが、「悪魔の証明」という言葉が伝える教訓は、「不在を証明することはできない(あるいは困難である)」ということではない。ましてや「挙証責任を果たすことなく不在を主張できる」という言い訳でもない

科学は、実在の証明を崩すこと(反証)しかできない

悪魔の証明」という言葉が伝える真の教訓は、反証を抜きにして「不在を主張してはならない」である。 

 

僕が南京事件について数年前に2chなどでいわゆるネトウヨさん的な人たちとさんざん議論してきたことは過去に書いた。僕はいわゆる肯定派である。だからこのyunishioさんとは派閥は一緒なのだが、確かに僕の論争相手も当時散々この「悪魔の証明」を持ち出した。南京事件がないというのは否定派なのだから、ないことを証明するのは否定派の方である、というと彼らは決まって「ないことの証明はできない、それは悪魔の証明である」とほざくのだ。

 

ところが彼ら否定派は大抵自らこれを犯す。例えば、南京事件に関する具体的な証拠となる資料を上げると、それが正しいことを証明しろ、という具合である。それこそ悪魔の証明で、そんなもんどこまでも突き詰めて出来るわけない。100個資料があっても全部真実でないこともあり得る、とすら言われたことがある。もはや南京事件否定論は信仰の世界と言っていい程だ。

 

実のところ南京事件派がよく使うロジックとしての「悪魔の証明」は、あくまでもある種のレトリックなのであり、「悪魔の証明」自身の正しさを突き崩せない事にのみ依拠したものであるに過ぎない。要するに、「悪魔の証明だ」と言えばそれは絶対であり、崩せない論拠となる(かのように思われる)だけの事なのである。なるほど「悪魔の証明」それ自身は正しい、しかし。

 

さて、なるほどyunishioさん仰るように、反証の必要はある。疑わしいとほざくだけでなくきっちし反証しろ、と。化学物質過敏症を訴える個々の患者は確実に存在するのだから、その存在を説明付けてくれと。南京事件否定論が如く、化学物質過敏症は完全に証明されてないというだけで否定するな、と。だが事態はそう簡単に対応付けられないものであることをyunishioさんは理解してないところが少々痛い。NATROMさんも、個々の患者を否定しているわけではない。そういう症状を訴える人たちの事は認めている。嘘だなんて言ってない。ここが南京事件論争と真逆なところである。南京事件否定論は、化学物質過敏症で言う患者さんに対応付けられる南京事件資料そのものに疑念を持つのである。これは決定的に違う。

 

否定の矛先は診断にある。そうした症状を訴える人たちの存在は疑ってない。そうではなくて、そういう診断を下す臨床環境医に対してなのであり、化学物質過敏症という確定的診断名に対してなのだ。実際に、臨床環境医たちの言う化学物質過敏症という病気仮説自体が科学的に見て不完全であり、まったくその存在が証明出来ていないところへと批判が向いているのである。南京事件は全く異なって、膨大な資料群があり、あんなもん否定する方が頭おかしいし、いかれてる。

 

僕個人も、患者さんの訴える症状や苦しみなどは疑わない。数は知らないが相当数の患者がいる事実がある。それが化学物質過敏症と呼ばれる病気仮説が正しいのかどうかまでは、僕個人は医者でも学者でもないし、ここ二週間ほどしかまだ知見のない人間だからわからないし、大した意見も言えない。

 

ただ、どうもその…、ネットでNATROMさんに喧嘩を売ってる連中というか、そういう人達を観察していると、その行状とか、なんだかしらないが疑似科学やトンデモに近い感じがする*3ところというか………信用できなくなりつつあるのは確かである。